夜更けのできごと

夜更けのできごと

「悔いないもん、私。尽くせるだけのことは尽くしたし。だから、今は満足感だけが残った感じ」

涙にぬれた目が穏やかに微笑んでいる。

門限を一分でも過ぎると横面を張られた娘は、病床に着いた父が見せるやさしい一面に初めてふれることができた。二十歳になる孫娘は、祖父の介護を手伝い、人の死を考える時を得た。

夫婦二人、趣味ではじめた畑仕事は 20 年。研究を重ね、近所のお百姓さんが尋ねにくるほどの旨い野菜を収穫するまでになった。採れたての野菜の味は格別で、家族や友人と堪能した。こまめに手入れをしていた畑を見に行くと、今は雑草がおいしげり歩くこともできない。新鮮野菜を味わえなくなるのは残念だがそれはそれとしよう。夫が庭で丹精込めて育てた菊やさつきは、新たな愛好家の手にわたり、また美しい花を咲かすことだろう。

「いつまでもめそめそしていてもしょうがないでしょう。趣味もいっぱいあるし、友達と旅行に行く約束もしてる。これからは自分が主役。自由な時間をもてるのは幸せです。これからを楽しまなくちゃ」

四十九日の法要を済ませた今が、かかり時。自身を奮い立たせるように夫の書物、衣類の整理を始めた。

病気に負けない。がんばるぞー

173センチでがっちりとした体格のHさんは、学生時代には、バレーボールで国体出場の経験がある。往時の仲間が集まれば、いつでも昨日のできごとのように語り合う、ご自慢の思い出よ、と妻Mさんはおもしろそうに笑った。中学校の教壇に立つようになってからは、熱血指導の厳しい先生でもあったが、その人柄を慕う生徒は今も多い。

健康そのものと思われたHさんの生活が一変するのは平成 18 年 10 月末のこと。咳き込んだ拍子にでた血痰を調べると、癌の兆候が表れていると、かかりつけ医から告げられた。万が一のこともある、どうか見立て違いでありますように・・・。そんな思いで受けた病院での精密検査の結果は、肺ガン末期、ステージIVを結論付けるものだった。既に手術ができる状態ではなく、示された治療法は抗がん剤の投与。医師の説明に落胆するMさんと娘の傍らで、当の本人はどこか他人事のようで、現実味を得ないのか、医師の言葉が頭の上を通り過ぎていくようであった、と M さんは言う。

「陰で悔し涙を流すことがあったのかもしれないけど、私はそんなところを知らない。楽観的で、体力にも自信があって、自分には病気に打ち勝つ力がある。頑張るぞーって何度も言っていましたね」

その時、Mさんには、夫の余命を医師に訊ねるだけのこころの余裕はなかった。

それしかないやろう

12 月に二度の抗がん剤治療を病院で受けた。一時はメタボリックシンドロームを気遣うほどの体重も、ガンの精密検査以降、一気に 10 キロも減ってしまい、その後も、抗がん剤の副作用でひどい吐き気に悩まされることになった。  

夫婦二人の食事。食卓で向き合う夫の横には嘔吐用の缶が置かれている。食事中でも苦しければ、それを使うためだ。自然とMさんの食欲もなくなり、気もめいる。新しい年を迎え三ヶ月あまりが経った。入院は嫌だという、夫の気持ちを尊重して、病院とかかりつけのN先生への通院を繰り返した。だが、夫は食欲もなく体力も落ちてきたように思える。ほんとうにこのまま入院せずに家にいても良いのだろうか。Mさんは思いあぐねてN先生に相談に出かけた。N先生は、ざっくばらんな人柄で、Mさん夫婦がホームドクターとして信頼をおいている人だ。Mさんの話しを聞き終わると、先生はきっぱりと言った。

「旦那さんが家で養生したいと言ってるんやろ?叶えてやれや。それしかないやろう」

揺れていたMさんのこころは、この時、はっきりと決まった。

4月初旬、Hさんはついに立つことができなくなり、N先生への通院も難しくなった。

家族の絆で支える日々

「ひばり」。医院の名前にしては変わっているな。Mさんはいつか見た駅看板の文字を思い出していた。在宅ホスピス、 365 日 24 時間対応。確かそんな文言が書かれていたように思う。家でそんなことができるのか、と頭の隅に置いていたその名前が浮かんできた。娘にインターネットで調べてもらい電話をすると、翌朝には杉山先生が顔をだしてくれた。

「いつでもニコーと笑ってね。先生や看護師さん達が来てくださるのが楽しみになりました。主人を診てくださるだけでなく、私たちのケアをほんとうに細やかにしてくれはった。往診の時だけでなく、電話をすればすぐに対応して頂けて、いつでも、どんなことでも相談できる安心感がありました」

数分で終わってしまう病院の回診では、介護をする家族へのケアまでは望めないことだろう。Mさんは心の安らぎを感じたという。そして、以前から気になっていた質問をしてみることにした。

‐あとどのくらい・・・。

‐ひと月。体力があるからふた月かも・・・

何とか家族で、悔いのないように過ごしたい。Mさんが中心となり、娘達の協力も得ながら、在宅での日々が始まった。

Mさんが細心の注意をはらったのが床ずれ。こまめに着替えをさせ、体位を何度も変えてマッサージをした。娘たちの助けを借りて入浴がわりの行水で痩せた身体を清めた。そして、熱っぽくだるいHさんを癒したのがかき氷と桃のジュースだった。冷蔵庫いっぱいに買い込み、Hさんが望めば、いつでも口に運び、その渇きを潤した。亡くなる一週間前まで、Hさんは両脇を支えられながらも、大好きな庭を見て嬉しそうに笑っていたそうだ。

そして、在宅治療をはじめて、ひと月半後、Hさんは家族に看取られ安らかな眠りについた。

夜更けのできごと

梅雨空から雨が落ち、庭の緑を濡らしている。雨音が静かに響くリビングから、 H さんのベッドが置かれていた部屋が見える。定年後はいつも二人で過ごし、最期の数ヶ月間は M さんにとっては長い夫婦生活を締めくくるにふさわしい濃密な時間だった。

肺がん末期であったHさんは、幸いに激しい痛みに苦しむことはなかった。しかし、昼間まどろんで過ごし、夜に目が冴える、昼夜逆転の生活がしばらく続いた。

「私も寝かしてくれないのね。2時間おきに、お水を飲ませたり、体をさすったり。一人で起きてるのが不安なのよねきっと。それで話しをはじめるの。眠くて辛かったけど、仕方ないもの、つきあったわ。でも、夜中にゆっくり話しができてよかったな」

健康な人間でもひとりで眠れぬ夜を過ごすのはどこか心細い。ましてや、死を身近なものとして感じる H さんの不安はいかばかりか。ましてそれが無機質な病院のベッドであれば、その淋しさはなおさらであろう。慣れ親しんだ場所で傍にいてほしい時に、大切な人がいてくれる、それが在宅の良さだろう。

ある晩 H さんは、幼い時から、学生時代、念願叶って教師になるまでを話して聞かせた。またある晩には、葬儀は親族だけでして、自分が大事に育てた菊の中でも水揚げの良い、あの白い菊を飾ってほしいと告げた。後日、 M さんは夫の願いを一つひとつ叶えた。そして、 M さんがそんな夫との夜更けの会話の中で今も大切にする言葉がある。

‐幸せやった。お前と結婚して幸せになれた。縁があれば、来世も一緒になろうな。(先にいくけど)俺の横を開けて待ってるから‐

「いろんなことあったけど、それを聞いて全てを許せた。私もこの人といて幸せやったなって」

M さんは涙を流し、やがて顔をあげてにっこりと笑った。凛とした美しい顔だと思った。