おばあちゃんの残したもの

おばあちゃんの残したもの

初めて、その部屋にとおされた時には、小ぶりの長テーブルがいくつも並んでいた。 勢いあまって半紙からはみだしたのか墨であちこちが黒く染まっている。窓際に設えた小さな祭壇。 障子越しの陽光が柔らかく射している。遺影の人は、ほのかに笑みをふくんでいたように見えた。 二度目に訪れた時には、テーブルは片付けられ、替わりに少しおおぶりのコタツがでんと置かれていた。 雨模様を嫌ってか犬がその横で寝そべっている。奥にはつつましい台所がある。 その部屋はほんの小さな空間だが、家人の大らかさがあらわれ、妙に居心地のいい気配が漂っていた。

「あんたで、悪かったわ。ほんまに・・」
愛犬の頭をなでながらMさんは笑った。別れの日が近いことを知らせるように様態が悪化した 義母Sさんの様子を知らせるため、近所に住む義姉を訪ねた、ほんの一時間ほどのできごとだった。 最期を見送ったのは、家人に代わって留守宅を見守っていた愛犬の‘チャチャ’となった。 そのとき、おばあちゃんは私の名前を呼んでくれたのか、と問うMさんに犬は眠そうな目をちらりとむけるばかりである。 帰宅後、Mさんは、寝息をたてていない義母に気づいた。布団の乱れはなく、苦しんだ様子が見受けられないのは せめてもの救いだが、この世を去るその時に傍にいてやれなかった無念が今も胸にせまるという。 まさか、そんなに早くとは思わなかった、と連絡を受けた杉山先生も目を丸くしたほどだ。 姉の家は、魚屋と寿司屋を営み、その日があと一日遅ければ、年越しの家業に支障をきたすことになった。 連日、母に起きる夜間せんもう譫妄(※譫妄-意識障害の一つ。意識レベルが低下したり混濁することにより、 幻覚、幻聴を覚え、異常行動や異常な発言をしたりする症状がある)をなだめるために、Mさんの疲れもピークに達していた。 「子ども孝行してくれはったんかなあ。充分なことできたんやろか・・・」Mさんは、そう呟き、ふっと宙を見上げた。

義母Sさんのがん再発と転移が発覚したのは平成18年3月、91歳のことだった。それまで義姉家族と同居し、 家業に忙しい夫婦に代わって、Sさんは孫の世話を引き受けてきた。めんどうみのいい、物静かな人で、若い頃には、 三人の子育てのかたわら、夫の知人が病に倒れた際にはその世話をしたこともあったという。  母の最期は、長男である自分の家で看取ってあげたい、と以前から話しをしていたMさん夫婦だったが、 いざそのときが訪れると思わぬ誤算がおきた。夫が6月より単身赴任を命ぜられたのだ。頼りの夫が不在となれば、 重責は妻Mさんの肩にのしかかる。「一人になるけどいいか?」と気遣う夫の言葉に、 Mさんは頷いたものの、先行きの見えない不安が脳裏をかすめる。気のやさしい母ではあるが、命の灯火はか細く 揺れる状態である。自分一人でいる時に、その灯が消えるようなことがあれば・・・。

お盆を過ぎる頃、SさんはMさん家族と暮らし始めた。ダイニングと居間を兼ねた、こぢんまりとした部屋をカーテンで仕切ると、 そこにSさんの部屋ができた。週に二日、仕切りを無くし、テーブルを並べると、そこはMさんの開く習字教室にもなる。 小さいけれど、多様に活躍するこの部屋には、いつも変わらぬ温もりがあった。 台所で食事の支度をする音、夕げの匂い。家族がコタツを囲み談笑する声。我が家の一員のつもりでくつろぐチャチャもいる。 そんな何気ない日常の中で、ごく自然に過ごす幸せをSさんは感じていたのかもしれない。しかし、容態は少しずつ、確実に、 悪化していた。食事を済ませたことを忘れるようになり、時に、人が変わったように声を荒げるSさんを前に途方にくれるMさんだった。

「先生も看護師さんも本当にようしてくれはったなあ。夜、眠れるように薬を調整してくれたり、便秘で苦しい母の世話をそこまで・・ と思うほど親身にして下さったり。私の辛さもわかってくれていて、いつもがんばりや、って声をかけてくれるのも嬉しかった」。 いくたの経験を積み、介護者の苦悩も熟知したスタッフの存在は心強く、しだいに負担の大きくなるMさんをどれだけ 勇気づけたことだろう。一方で、Mさんは、習字教室も姉夫婦の協力を得ながら続けることができた。 その2日間が休息がわりとなり、心身がリフレッシュされ、また気力が湧いてきた。そして、最も身近な理解者となったのが、 不在の夫に代わって励ましてくれた子ども達だ。帰宅すると、一番に祖母に声をかけ、笑顔を見せ、疲れた母を気遣い、食事にも誘った。 ある晩のこと。夜中に便意をもよおしたSさんが粗相をしてしまったことがあった。偶然、二階から用を足しに下りてきた息子は、 薄暗い廊下で足の裏にぬるりとした物を感じた。異臭を放つそれが何か、すぐに気づいた。しかし、彼は顔をしかめることなく 穏やかな口調で言った。 「うわぁ、おばあちゃん、トイレ間違えたんやな。かなんなぁ」。 一時期は、反抗的な態度で親を困らせたこともある息子の思いがけないやさしさがMさんの心にしみた。

その年の12月、Sさんはチャチャに見守られ、91歳の天寿を全うした。数々の苦労はあったものの、「おばあちゃんに最期、 ここで過ごしてもらってほんとうに良かった」と心からMさんは思っている。 人の宿命である「老い」。終末は、思うようにからだが動かず、生きる意味を思い、落ち込むSさんの悲しみは計りしれない。 しかし、最後まで自分らしく生きた祖母Sさん、それを懸命に介護する母の姿を子ども達が見届けることは、 大きな意味があるのではないだろうか。Sさんは、身をもって、家族の心に大切な何かを残してくれたように思えてならない。 数ヵ月後のある日。習字教室に元気な子ども達の声が響く。その中の数人が、誰教えることなく祭壇に向かい、 小さな手を合わせぺこりと頭をたれた。 春の足音が聞こえる午後のことだった。