きゅうりとトマトと生きる力と

きゅうりとトマトと生きる力と

「こないだ先生に聞いたスープ、あれ、作ってみたんですよぉ・・」。
いつものように和やかな治療風景。スープとは治療の合間にNさんが杉山先生に伝授されたレシピのこと。 料理は先生の趣味のひとつである。そもそもの発端はNさんが育てた胡瓜やトマトがたくさん採れたことにあった。 「胡瓜はピクルスにするといいよ。トマトと胡瓜で作る世界三大冷製スープのレシピを教えてあげよう」。 その日、教わった通りに作ったものの、確かにおいしかったが、色が何ともグロテスクで・・・。 「母は、悪いけどええわぁって、見向きもしなかったんですよ」。 その情景を思い出してNさんの義娘Mさんは表情をほころばせた。 平成18年5月、十二指腸ガンがリンパ節に転移し、家族はNさんの余命が3~6ヶ月であることを宣告された。 そして主治医の先生にすすめられたのがひばりメディカルクリニックだった。思いもしなかった自宅での緩和ケアに、 Mさんは戸惑った。だが、居間で普段着のまま、点滴を受けながら先生とのたわいのない話しに義母が興じている その光景に、この選択が間違っていなかったと感じた。 「病院だと母は病人、私たちは見舞う人となってしまうけど、家ではそんな距離がなくて、同じ時間を過ごすことができます。 だから、思いを共有して、同じラインにいれるのがいいんじゃないでしょうか」。

◆美味しく食べれるっていいなあ

在宅ケアをはじめてからも、Nさんはベッドで食事をとることはせず、家族とともに食卓を囲んだ。とはいえ、 やはり余命を宣告された病状を抱える身である。そうするためには痛みを緩和させる処置も必要となってくる。 しかし、その処置が通り一辺倒なものなら、不眠、便秘といった代償が求められることもある。そんな時でも、 杉山先生は単に痛みを和らげることだけを目的にするのでなく、「普通の生活が送れること」を前提に、その時々に 最善の処置を施す。その結果Nさんは、「いや、食べれるわ。美味しく食べれるっていいなあ」そう言って、 充実した団欒の時間を過すことができるようになった。また、普段の生活も、庭の手入れをし、 丹精こめて育てた野菜を収穫する。それは、楽しい時間だった。 時には、「美容院にも行きたい」、と家族を驚かせることもあった。もし、あのまま義母が入院生活をしていたとしたら…、 Nさんの生き生きと日々を送る姿に、Mさんは、この心の余裕は「最善の治療」が期待できる病室では、決して得られるものではないと思った。

◆孫と夕めし、食べたいんですわ

「義母のお話しをすることになって、思い出したことがあるんです」。 Nさんを主に介護してきたのは長男の嫁であるMさん。26年間勤めた幼稚園を退職するには葛藤もあったという。 在職中に、実父と義父をガンで亡くしている。そして今回の義母の死。その「3人の死」に思いをめぐらせ、 Mさんは切々と話してくれた。

父は二人とも病院で亡くなりました。その当時は、在宅での緩和ケアなんて知りませんでしたし、思いもつかなかった。 義父は病院のベッドで痛みにのたうちまわって・・・。私たちにはどうすることもできない。もっていきどころのない辛さに、 怒鳴られたこともありました。痛みがあると、ほんとうに何も考えられなくなりますよね。 実家の家業は、茶せん作りでした。新旧の言い分もあったのでしょう、父は兄と喧嘩もしょっちゅう。 商売も続けていかねばならないし、兄は「おまえはまだ(入院している間の)繋ぎやから」なんて言われたりしてました。 まだまだ、家でやらなきゃいけないこともいっぱいあったんでしょうね。一方で父は、周りにとても気をつかう人で、 痛みも我慢して、泣き言はあまり言いませんでした。そんな父が、ある時、ツーっと涙を流して、ポツリと 「孫と夕めし、食べたいんですわ」って。
それは仕事のことではなく、家族の団らんのことでした。その一言に私も涙が止まりませんでした。在宅で義母を看取った今思えば、 あの時に在宅ケアが広がっていれば・・・。兄ももっといろんなことを父から聞けただろうし、父も可愛い盛りの孫の顔を見ながら過ごし、商売のことも伝えることができたでしょう。
病院での最期もひどいものでした。先生方は、孫に会わせるためだけに心臓をとめない処置を続けているとしか思えず、「もう止めて!すっと逝かせてやって」 思わずそう叫んでしまって、私も32歳で若かったから。父のそんな姿を見るのがいたたまれませんでした。

◆皆のなかで、スーっと逝きたい

8月の朝。
「助けて」。
Mさんはずしりとのしかかるその重みにおののきながら、知らず夫の名前を呼んでいた。トイレに行こうとした義母が突然、 膝の上に倒れこんできたのだ。あの細い体にこんなにも重みがあったとは。早く先生に連絡をとりたい。 しかし、携帯電話はテーブルの上。意識不明の義母を座らせることもできない。あの時、夫がいなければ、と思うと今も怖くなると唇を震わせる。 飛んできた夫に義母を預け、先生に電話。杉山先生も直ぐに駆けつけてくれた。実際には、 10分程度のことだったのだろう。が、Mさんにはとてつもなく長い時間に感じられた。 その晩、落ち着いたNさんの枕元に親族が集まった。心配顔で覗き込む息子、娘、孫達を見渡し 「このまま皆のなかで、スーっと逝きたいわ」。 その言葉通り、Nさんが皆に囲まれ、苦しむことなく静かに旅立たれたのは、それから数日後のことだった。

◆私が成長させてもらいました

「杉山先生や看護師さん、ヘルパーさんに出逢えて本当によかった。心から感謝しています。患者に対しては言うまでもありませんが、 介護をする私の気持ちまでくんで、励まして下さいました。そんな風に私を認めてもらうと、心が和み、また頑張れたんです。 再入院を考えている時も、先生は否定されず、家族で予め話し合いをすることや母にその話しをするタイミングなどもアドバイス して下さり安心したものです。今後、こうした全人的なケアがますます必要になってくることでしょう。知識だけでなく、 人の気持ちのわかる緩和ケア専門の方々が増えていけばと思います」。 花を育て、草をひき、家を守る。ささやかだがNさんらしい生き方。それを全うできたのは、家族、杉山先生をはじめとするスタッフ、 そしてNさん自身の思いが重なりあってのことだった。