体験記3

石丸祐男 平成15年6月24日 午後7時23分永眠 享年77歳 (石丸泰代 様より)

夫が亡くなって1年が過ぎようとしています。

夫は脊髄、肝臓、全身が癌に侵された状態でした。平成13年より入退院の繰り返しの日々でした。今年の4月15日に、もう治療の方法が無いという理由で近大の奈良病院を退院し、病院のたらい回しは可哀想と思い、二人の娘と相談した結果、夫を家で診ることになりました。

退院して2週間の間は、私一人で夫の世話をしました。夫は脊髄の癌のため、下半身が麻痺した状態で歩くことが出来ないため、 車椅子での生活を余儀なくされており、一人で用を足すことも出来ませんでした。ですから、車椅子の乗り降りの補助やオムツの交換など、初めて経験することばかりでした。

ある日、オムツを交換している時に夫が「手が汚れるから、薄い手袋を買って来い。」と言いました。それを聞いた私は、「汚れたら洗ったらいい。」と強気に答えて、笑ってごまかしました。

ある時に一度、私が過労で倒れたことがありました。その時、夫は「明日の朝、病院に行って来い。」と、ベッドからうるさく命令しました。いろいろと大変なこともありましたが、夫と初めて二人きりで過ごした2週間は、私にとって楽しい時間でした。

4月29日から、ホームヘルパーさん、看護士さん、杉山先生にお世話になることになり、気持ちがホッとしました。それからの1ヶ月程の間は、皆さんの温かい気持ちに支えられ、私にとっても夫にとっても、本当に有意義な時間でした。

6月10日、「後、一ヶ月です。」と杉山先生から言われました。私は、改めて自分を見つめなおし、頑張ろうと覚悟しました。亡くなる4日程前、夫が呼ぶので側に行くと、「抱いてくれ。」といいました。涙をこらえて夫を抱きかかえ、「これでいいですか?」と聞くと、夫は少し痛そうな顔をしながら、「もういい。」と答えました。私が「しんどいの?」と聞くと、夫は黙ってうなづき横を向きました。私は、もっと早く言ってくれれば、上手に抱いてあげられたのに・・・と、半分笑い、半分泣きました。

6月24日の朝、杉山先生に「今晩あたりがヤマです。」と言われました。その日の夕方、私は少し出かけました。ほんの30分程して家に帰ってくると、孫が、「今さっき、おじいちゃん死んだわ・・・」と言いました。「えっ?!」と私は聞きなおし、急いで夫の元に駆け寄りました。夫は、苦しんだ様子も無く、とても穏やかで綺麗な顔をして亡くなっていました。安らかな最後でした。私は最後まで一緒に過ごせた幸せをしみじみと感じていました。最後まで皆様の温かい介護をしていただき、心から感謝しております。亡くなった夫も、きっと幸せだったと思います。本当に最期の最期まで見守ってくださった杉山先生、ホームヘルパーさん、看護士さん、本当にありがとうございました。

星になって、早3ヶ月。

ガン百日と言いますね。生きて3ヶ月、亡くなって3ヶ月、どちらが長いか早いか毎日思いながら暮らしております。写真に向かって出かけるとき、帰ったとき、世間に話題があるとき、失敗したとき・・・・・それはそれは賑やかです。笑いながら叱られながら「馬鹿か!アホが!」言いたい放題それもなかなか楽しいです。いつも傍らに居てくれて私の行く先々写真がついて来ます。「もういいわ!」と言いたいぐらい見つめられています。「この世でこんな事あったかな?」クスっと笑えます。どんな事があっても生きていて欲しかったと思いますが、いつも身近に感じているとまた違った夫婦の思いがあります。朝おはよう、夜おやすみ、これで一日終わりです。

追伸、

あなたにいくら私が好きでも三年ー五年は迎えに来ないでネ
「いい人が出来ても?」
でも隣は空けておいて下さいネ