親から子へ、子から孫へ家族の絆を深めた十日間

親から子へ、子から孫へ家族の絆を深めた十日間

両手をいっぱいに広げ、緊張した面持ちで女の子は盆にのせたコーヒーカップを運んできた。礼を言うと、口のはしっこで少し笑った。小学校2年生。客人をもてなすのは彼女の仕事だそうだ。3週前の明け方、おばあちゃんの手を握っていた。その朝を彼女は忘れないだろう。たくさんのやさしい眼差しに見守られこの世を去った大好きなおばあちゃん。皆で看病した最後の10日間を彼女はいつまでも忘れることはないだろう。

病を見て、ひとを見ず

「ボケてきはったんか、おばあちゃん、夜中に大声をださはるんです」
看護師はいう。母Kさんを病棟に見舞いに来た長女Mさんは不信に思い、さりげなく母にたずねた。
「夜あんまり寝られへんの?」
「いいや、眠れるねんけど、おしっこ言うても看護婦さん来てくれへんのよ」
ナースコールをうまく使えず、尿意をもよおした母がせっぱ詰まって、何度も看護婦を呼んだのだろう。母は90歳である。病棟の看護師は多くの患者をみなければならない。だから母の声に駆けつけてくれなくても無理はないだろう。看護師の不用意な言葉への不満をMさんはなんとか飲み込む。コールボタンを手にもたせ、困ったらこれを押すのよと、念をおす。夜7時、面会終了時間がせまってくる。こころを残しながらドアをしめた。
また別の日。
「この頃、おばあちゃん、ちょっと暴れはるんですよ」
平然と話す看護師。先入観で高齢の母を見ているように思え、Mさんは苛立ちを感じた。母が話すには、看護師は何もしてくれない。トイレには行きたい。自分で何とかするしかない。起き上がろうとするが力がでない。足をばたつかせ、手をふりまわした。そうしてもがいている姿を看護師は見たのではないだろうか。事実はわからない。身内の欲目と言われればそうかもしれない。それにしてもである。病気で気が弱っているうえに、慣れない病室。夜は誰でも不安になるだろう。気持ちをくんでもう少し親身に対応してくれてもいいのではないか。絶食を強いられる母の口に、氷をそっとふくませてやった。

悶々と過ぎた50日

「入院をしていた50日間は、今から思えば、無駄な時間だったような気がします」
姉Mさんを補足するように、次女Sさんは言葉をつないだ。
Sさん達は4姉妹である。父を亡くした後、長女のMさん家族が実家に戻り、母Kさんと暮らしていた。
寿司をぺろりと食べたKさんは数日後、長女Mさんに腹痛を打ち明けた。便がでず、ガスがたまってお腹がはり、吐き気もする。高齢の母に無理は禁物である。早く処置をしてもらおうと、大きな病院を訪ねた。最初の診断は腸閉塞。検査、治療をすすめるが一向に改善の兆しがみられない。その間、口から食事はもちろん、水分もとれない。点滴の一滴、一滴が命を支える状態である。進展もないまま遅々として時間だけが過ぎてゆく。みるみるKさんの体力は落ちていった。ひと月あまり後、医師は検査結果を見て首をひねった。ガンの影は見えないものの腫瘍マーカーの数値は入院時よりも高くなっていたのだ。つぎに医師が告げた言葉に家族の不信感は頂点に達した。病状は良くなく、残された時間は短い。病院ではこれ以上、手をつくすことができない。今後の選択肢は三つ。一つ目は手術。これはKさんの年齢、体力を考えるとできない。二つ目は十二指腸を広げる治療。これもリスクが高い。残されたひとつはこのまま、点滴をつけてただ病室で寝かせておく。それでは今まで何のために、病院で母は苦しい思いをしてきたのか・・。結果的にそうなった、とはわり切れない結末だった。

私たちが家で看病したいねん。遠慮はいらんよ

医師が最後に示した四つめの選択肢。それは「ひばりメディカルクリニック」のサポート受けながらの在宅療養だった。
Mさん姉妹は顔見合わせ頷いた。その名前に聞き覚えがあったのだ。つい先ごろ、親族がひばり往診クリニックに世話になり、自宅で看取ることができて、とても満足している、先生はお正月まで来てくれ、ほんとに良くしくれたと、話していたのだ。不十分に思える病院の看護体制。心細そうな母を残して帰る辛さ、何より家を大切にしてきた母を思えば、たとえ、命が短くなったとしても、それを寿命と覚悟して家に連れて帰ろう。ひばり往診クリニックの先生が来てくださる。ああ、それなら安心や。皆が満足できるだろう。
在宅治療の準備は整った。いよいよ明日は皆が待つ我が家へ母を連れて帰ろう。笑顔で話すMさんを前に、母Kさんは一瞬たじろいで、首をふった。
「迷惑かけるし・・ええわ」
「おばあちゃんのためやないよ。私らみんな、おばあちゃんを看病したいと思ってるねん。だから遠慮せんでいいよ」
Kさんの頬がゆるみ、そっと手を合わせた。

座りこぶ

「ほらこれ、座りこぶができちゃって。だいぶ薄くなったんですけど、うふふ・・」
ひょいとズボンの裾を膝までめくり、次女Sさんはおもしろそうに笑った。指差した先を見ると、いくぶん薄くなったあざがある。それはおばあちゃんの看病をした勲章である。4姉妹はベッドの両側に二人ずつ並び母親を中心にして、ずっと看病をしていたそうだ。庭に面した側は子供用のイスに座り毛布にくるまって、うち側はベッドに向かって跪いて、座りこぶはその時にできた。
「うまく言えないけど、母を送った後の気持ちがなんか違うんですよね。悲しいけれど、穏やかな気持ちでいられるっていうか。病院に見舞うのと違って、もうちょっとしてあげたら良かった、そんな思いがないからかな」
座りこぶをさすりながらSさんは言った。

娘4人、孫9人、ひ孫8人。思いをひとつに

ひばりメディカルクリニックから初めて横山先生が往診にやってきた日。先生は言った。
「おばあちゃんには好きなものを食べさせてあげ、好きなことをさせてあげてください。ご家族は常におばあちゃんに声をかけ、体に触れて安心させてあげてください。亡くなる時は、ひとりで、皆に囲まれて、それはおばあちゃんが決められることです。何かあれば、夜中でもいつでも呼んでください」
先生は飄々とした風体のなかに、誠実さがにじみ、その言葉はありがたく、素直な気持ちになれたと長女Mさんはいう。
先生の言葉どおりの看病がはじまった。いつも誰かがそばにいて、話しをする。背中をさすり、足のマッサージもした。熱がでたり、発作が起こっても横山先生がついていてくれる。そう思うと家族にあまり悲壮感はなく、女三人寄れば・・は、看病のときも例外ではなかったらしい。久しぶりに顔を揃えた4姉妹である。当然のごとく、おしゃべりに花が咲く。時おり、おばあちゃんが「うるさいなあ」とぼやき、連れ合いはその賑やかな看病に苦笑する。もう孫もいる娘たちが、仲の良い姉妹に戻って母を囲んで話しをする。その声に耳を傾けるおばあちゃんのこころはとても温かだったことだろう。それだけではない。4歳から40歳までの孫、ひ孫たちも大好きなおばあちゃんのもとに代わるがわる駆けつけた。自宅でのケアは面会時間の制約や規制がない。皆の気持ちもゆったりとする。その余裕は世代を超えて、これまで自分たちを愛してくれたおばあちゃんへの感謝、一生を終えようとするその人を慈しむ気持ちへと集約される。ある者は祖母の髪を洗い、幼子は小さな手で千羽鶴を折る。3世代の家族が、互いに思いやり、連携プレーで介護の日々を支え、その日を迎える覚悟をつけていった。自宅に戻ってから十日後の夜明け。それが自分の寿命と知っていたように、おばあちゃんはごく自然に人生の幕をひいた。
おばあちゃんが去ったあと、訪ねてきた孫は祖母が寝ていたベッドで休み、ひ孫はおばあちゃん愛用の毛布にくるまって昼寝をする。
彼らにとって、おばあちゃんの死は怖いことではないのである。

「すばらしい先生やスタッフの皆さんに出会え、自宅での介護から看取りまでの経験をさせて頂けてほんとうに良かった。おかげで、親から子へ、子から孫へと繋ぐ、家族の絆の大切さを確認することができ、いまは感謝の気持ちでいっぱいです」Mさんは多くの人にこの体験を話し、在宅での看取りという選択肢があることを伝えたいと締めくくった。