同行二人

同行二人

「レイラちゃん、そんなんやったらもういいわ。もうしらん」 ケージに戻そうと猫を追うのをあきらめ、ため息をつく。すると、今まで部屋を駆け回っていた仔ネコのレイラが「ごめんね」と言うようにからだをすり寄せてきた。 「うん、それでいいの・・」。安堵から、笑みが浮かぶ。

一人と一匹暮らしをはじめて3週間あまり。初めての経験に戸惑いの連続である。その昔、ノルウェーの森に棲んでいたという祖先の遺伝子のせいか、カーテン、戸棚、とひょいひょいどこにでも登る。ベッドへのジャンプなどお手の物だ。足元のやんちゃなパートナーをそっと抱き上げる。ふわふわと温かだ。遊び疲れたのかレイラはケージの中で、ウトウトと居眠りをはじめた。 在宅でひばりメディカルクリニックの緩和ケアを受け始めて3年。Mさんは、初めて杉山先生が訪れた日のことを鮮明に覚えている。 「あっ、セーター着てるんや」 聴診器を首からぶら下げ白衣を着たドクターが看護師を従えてやって来る。そんな姿をイメージしていた。ところが、‘豆色’のセーターを着たその人は「こんばんは」、と人懐っこい笑顔を見せながら部屋に上がると、ぬぬぬっと近づき、いきなりMさんの手を握った。「小っちゃいなぁ。その体型やったら、薬の量が多すぎるかもしれんなぁ」

杉山先生は見る間に手早く点滴の用意をし始め、点滴の中身は何?こんな薬は使ってほしくない、と疑問を投げかけるMさんに、一つひとつ丁寧に説明をした。そして、帰り際に差し出された名刺には、いつでも連絡がとれるように携帯電話の番号が記されていた。ドクターは診察場以外では話しができる人ではない、と思っていたMさんの常識はくつがえされた。

乳がんの再発と肺転移。倦怠感と熱のとれないからだ。仰向けに寝ることさえできない状態が続く。少しでも楽になるのは、ただ座って何かにもたれるしか方法はなかった。それでも、病院へは行きたくない。自分の意志に反して、何をされるかわからない。3年前に乳がん摘出手術を受けた時の苦い思い出がよみがえってきた。 乳がんが発覚したのはMさんが37歳の時のことだった。告げられた治療方針は、左乳房全摘出と放射線治療。執刀医師の言葉には有無をいわせない威圧感があった。だが、Mさんはすぐに首を縦にふらず、様々な治療法を熱心に調べた。その結果、彼女が選んだのは、病巣だけを除去する「くりぬき」手術。術後の放射線治療を受けると肌はやけどしたように黒ずみ、水ぶくれができた。広域と併せてピンポイント照射を薦められるが、辺りを見回せば、同じ治療を受ける患者は実につらそうだ。Mさんは、広域照射だけを希望する。その後も一方的とも思える医師の言葉に、自分なりの意見を言いながら妥協点を見出す繰り返しが続いた。しかし、それはしだいに「最高の技術で治療をしてくれる場所」である大病院への不信感へと変わっていった。そして、入院から半年が過ぎた頃、ついにMさんは心を決め、病院を後にした。

その後、西洋医学、医師に疑問を感じたMさんは、帯津三敬病院(埼玉県)の治療を受けることを決めた。ここでは、ホリスティック医学(全人的医療)、つまり人のからだのある部分だけを治療するのではなく、人、全体を考えて治療するという考えのもとに、西洋医学をベースに中医学をはじめとする代替療法を積極的に取り入れている。しかし、遠距離での治療は長く続かず、そこもフェイドアウト。自分で選択した道ではあるが、主治医のいない心細さは否めない。そんな時に出会ったのが、子宮ガンを自分で治したという女性である。彼女の話しには、実体験を踏まえた説得力があり、実践するマクロビオティックは魅力的に思えた。身も心も快方に向かうように思えた日々が3年ほど続くが、その間も病魔は容赦なくMさんのからだを蝕んでいった。そして、乳がんの再発、肺への転移がわかり、崖っぷちに立たされることに・・・。

思いあぐねた結果Mさんが選んだのは、大阪にあるホスピス病棟への入院だった。藁をもつかむ思いで電話をかけたが、受話器の向うからは「あいにく満床で・・」との答えが返ってきた。それでも何とかして入院をさせて欲しいと頼み込むMさんに紹介されたのがひばりメディカルクリニックだった。当時、在宅で治療を受けることなど、知らず、全く念頭になかった。しかも、一口に「奈良」といっても広く、Mさんの家とクリニックとはかなりの距離がある。そんなところにドクターがわざわざ来て自分の不安や苦痛を和らげてくれるとは到底思えなかった。「だいじょうぶ、その先生は来てくれます」と言われてもどうも納得できない。しかし、他に手立てもなく、ひばり往診クリニックのホームページを見てみる。我が家はやはり、そこに記された往診対象エリア外である。半信半疑でひばり往診クリニックに電話をかけ、そのことを尋ねると電話口に出たドクターは、ためらうことなく「行きますよ。都合がつけば、今日寄ります」。道順などを説明するうちに、古くからの友人と話すような不思議な親近感を覚え話す自分に驚いた。かつて、大病院で治療法をめぐって医師と交わした攻防の日々。最後に「そんなら、ええわ」と、突き放すように言い放った医師を思えば、杉山先生とのやりとりは想像もできないことだった。 先生は本当に電話での言葉通りその日のうちに尋ねてき、Mさんを驚かせた。そして先生からは、時おかずして、熱意あふれる言葉にさらに驚かされることになる。

  時おり襲う激しい痛み。あまりの痛さに呻き、いてもたってもいられずに、泣きながら走りだすこともあった。杉山先生の緩和治療がはじまった。当初は、痛み止めがあわず、体重もどんどんと減っていく。試行錯誤の日々が続いた。毎日、欠かさず往診に来てくれる先生だが、訪問は、時には夜更けになることもあり、疲労の様子が伺える。気遣う言葉をかけるMさんに、医師は笑顔で答えた。 「だいじょうぶ、あなたが30年元気にしてくれるなら、僕は30年でも来ますよ」 驚きと共に、その熱意に冷え切った心が安堵感に包まれ、温かに溶けていくのを感じた。 ひと月が過ぎる頃、痛みから解放されたMさんに笑顔がもどった。その後の治療は、西洋医学への不信感をぬぐいきれずにいるMさんの意思を尊重し、痛みのケア主体ですすめられた。数ヶ月後、抗がん剤、ステロイド薬の服用を拒絶するMさんに杉山先生からの提案があった。「このまま自然療法と僕だけでは、ええことないよ。ホルモン療法だと、食欲もでることあるし、病院へも行ってみない?」痛みもなくなり、精神的な安定を得たMさんは、在宅での治療と平行して、病院で月に一度ホルモン療法を受けてみることを決めた。しかし、2年目の冬、それらの治療法だけで過ごす日々に限界が訪れた。肺に水がたまり、また横になれず、酸素吸入で何とかしのぐが予断を許さない状況が続いた。非常事態を察知した杉山先生がすぐに病院に連絡をとり、入院の手はずを整える。酸素マスクを着け車椅子で病室に向かう時には、意識が混濁。姉の呼びかける声が少しずつ遠ざかっていった。

「どお?ニャん子との暮らしは?」 「うん。まあ、必死。どどどって、急に走り回ったりするし。でも、寝顔は可愛くてね、癒されるなあ」 仔猫を見やりながらMさんが微笑む。昨年から始めた一人住まいの部屋に、猫用のケージが置かれている。 危機的状況から、一命をとりとめたMさんは、現在、月に一度病院に通い、週に5日はひばりメディカルクリニックからの往診を受けている。状態が落ち着いた時点で、抗がん剤の点滴は一旦止めて、血液検査の結果を見ながら、納得のいく治療法を探っている。痛みの緩和ケア、ホルモン療法が、Mさんの選ぶ主な治療である。 「治療のことを決めるのは自分だけど、やっぱり、病気を誰かと共有してもらっていないとすごく不安。病院での10分あまりの診察時間では、話しきれないことや、聞けないことがいっぱいあるし。以前は、それが心残りで、一人で落ち込んでた。でも、今は杉山先生や看護師さんもいてくれるので、わからないことは説明してくれるし、相談にものってもらえる。そうやって病気を共有し、励ましてもらえるのが嬉しい」 在宅で治療を受け始めて3度目の春。レイラママになったMさんの髪がそよ風に揺れている。