親思ふ こころに 勝る 親ごころ・・・

親思ふ こころに 勝る 親ごころ・・・

テーブルに置いた携帯電話のベルが鳴った。
「それじゃ、萩、津和野あたりで・・」
九州に住む友人との久しぶりの旅行。行き先は、学生時代に心動かされた『吉田松陰』生誕の地である。「やっと、そんな気持ちになれたんです」心なしか表情に明るさがさす。しかし、目の前にある現実は、母の死と病床に着く老齢の父。「ひばりからヘルパーさんが来て下さり、父の様子が安定している時間に・・」ほっと息をぬく時を選んで、取材に応じてくれたTさんは一つひとつ、思いをかみしめるように語り始めた。

  母、Yさんが子宮がんの手術を受けたのは平成5年、72歳のことだった。術後、一旦は落ち着きを取り戻したが、数年後、帯状疱疹による神経痛に悩まされるようになり、出会ったのが杉山先生だ。病院で抗がん剤治療を受け、週に一度、杉山先生の往診で痛みの緩和治療を受けながらも、平穏な日常が再開した。Yさんは、酉年生まれのバタバタ貧乏、と自称するほど、じっとしていられない性質だ。いつも何かしら楽しみをみつけては、手先を動かしていた。糸を染め、心の赴くままに機を織る。できあがった『さをり織り』独特のやさしい風合いの布地でオリジナルの手織り服に仕上げていく。またある日は、千代紙を丁寧に折り重ね、紙人形作りを楽しむ。目鼻の描かれていない人形は、かえって豊かな表情をみせてくれるものだ。料理好きでもあり、正月のおせち料理に始まり、ひな祭りには手作りの甘酒やちらし寿司、と四季折々の味が食卓に並んだ。家族だけでなく、娘の友人や近所の人に手料理を振舞うのが好きだったYさんが作る柿の葉寿司を懐かしむ人も多いという。そして何より好きだったのが、庭仕事。「今でも庭を渡る風の音に、そこで草を引いている母のうしろ姿が見えるようで・・・」

母に続き、大病で父が手術をし、自宅で療養するようになった頃から、Tさんは徐々に ストレスを抱え込むようになった。両親が病気で介護が必要な時なのに、自分が遊んでいるわけにはいかない。できる限りの介護を自分に課し、少しの気晴らしにも罪悪感を覚えた。積もったストレスは大きな負荷となって、Tさんの心に重くのしかかった。介護うつ。やむなく父を施設に預けることに決めて以降、10ヶ月のあいだTさんは起き上がることすらできない程に落ち込んでいった。病の母は、そんなTさんを静かに支え続けてくれた。 「自分の器以上のことをしようとしていたのでしょうね。母がいたから・・」と、Tさんは声をつまらせる。そしてTさんが笑顔を見せるようになったのは、一年を過ぎる頃のことだった。

  母Yさんの子宮がん再発、骨への転移が発覚したのは平成18年、84歳のことである。担当医師から、ホスピス病棟への入院を薦められた時には、Tさんの気持ちは決まっていた。母は私が家で看よう。機織、千代紙人形、料理、愛犬の世話、庭仕事。母には住み慣れた家で、したいことがいっぱいある。父は施設で暮らし、母の介護に専念することもできる。それは、自分の苦悩を癒し、支えてくれた母への恩返しでもあった。 「心配ないよ。大丈夫、家でもちゃんと看てあげるから」。数年来、往診に通い続けてくれている信頼できるドクター、杉山先生の存在も大きかった。 先生が処置の最後に、その分厚い手を痛みのあるところに当てるとYさんの心が安らいだ。そして、来る度に二人を笑わせてくれる看護師、Tさんが介護に不安を感じている時、気持ちに寄りそうようにいてくれたヘルパー。友人、近所の人達も力づけてくれる。以前は孤軍奮闘する自分をなおも責め続けたが、今は一人ではない。そうTさんは思えるようになっていった。 「ひばり往診クリニックでは、ドクターと看護師さん、ヘルパーさんが朝のミーティングで患者やその家族をどう癒していくか、緊急時の対応についても話しあってくれていて、ケアに一体感があり、安心できました。ほんとに暖かい心が伝わってきて、私の背を押してくれていました」

  平成18年9月21日。Tさんの誕生日を祝い、娘への花束を抱えたYさんがカメラに向かってにっこりと笑っている。その一枚の写真が、母からの最後のプレゼントとなった。2、3日前から体温が下がり、点滴を受けつけなくなったYさんは、娘の誕生日を待っていたかのように、翌々日、23日の夜、娘に手をとってもらいながら静かに息をひきとった。
それから数日後のことである。Tさんが愛犬の名を呼ぶと、ファルは微動だにせず、じっと一点を見つめている。その視線の先を辿ると、そこは亡き母の面影が残る場所であった。

「『Do not stand at my grave and weep 』。(作者不詳 邦訳では『千の風になって』で知られる)
これ、今の私の気持ちにぴったり合う詩なんです」。大切な人をなくした人を慰め、勇気づける短い一編の詩である。愛する人は、風になり、大空を吹きわたり、いつもあなたを見守っている。庭の木々を揺らし、早朝の月を見上げるTさんの頬をやさしく撫ぜる風に、いつも母Yさんを感じるという。
母が亡くなった翌月にTさんは、施設で療養する父を引き取り、再び、ひばりメディカルクリニックのサポート受けながら、自宅での介護を始めた。しかし、今度は、自分の人生を楽しむことも忘れない。その一歩が友人との旅行である。 「私の中では、今年は再介護、元年。明るく、楽しい介護を目指しています」

幕末という激動の時代に呼応するかのような生涯を送った吉田松陰は、明治維新の実践的理論的な指導者として多くの門人を集め、そこから、高杉晋作、伊藤博文など、新しい時代を築く傑物が輩出されたことは広く知られている。その一方で、たいへんな家族思いであったとも伝えられ、かつて門下生が学んだ松下村塾の傍らにある石碑には「親思ふこころに勝る親心 けふの音づれ何ときくらむ」と家族に宛てて詠まれた辞世の句が記されている。 早春、思い出の地でもある萩を訪ねるTさんの心に、彼は何を語りかけてくれるのだろうか。

A Thausand Winds
Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.